Trip to Argentina 2017

アルゼンチン紀行

2017/11/29~12/12
5年ぶり3回目になるアルゼンチンへ行ってきました。
旅の目的のメインは、会いたい人に逢うこと。
hummock label としての今後の活動や、
現地のライヴ事情、音楽家・写真家を訪ねて。

ブエノスアイレスの中心地、オベリスコにほど近いコリエンテス大通りに面した由緒あるサンマルティン劇場。その劇場にて開催された『Musica de laTierra』という企画に出演のヴィトール・ハミルのソロライヴにカルロス・モスカルディーニが出演(モスカルディーニさんはヴィトールさんと度々演奏を共にし、彼のアルバムでも客演しています)。サプライズでゲスト参加となったためかモスカルディーニさんのお名前は公表されていなかったもの登場とともに拍手喝采。3曲のみでしたが彼のギター伴奏の美しさも十分に魅力的なステージで、ヴィトールさんの名曲「Estrela」を弾くモスカルディーニさんの演奏に、ようやく初めて生で体験できたことも感極まって涙が止まらなかった。思い返せば、ステージに上がる直前までギターはケースにしまっていて、演奏後すぐにケースに収めていたことも、その仕草や姿勢に器楽に対しての愛情を垣間見た気がしました。終演後わずかな時間しかなかったはずなのに、僕を方々に紹介くださり、この企画担当者からの最初の言葉が「君はカルロス・アギーレやウーゴ・ファトルーソの音楽は好きか?」ですぐに打ち解けたし、Aymamaのパウラ・スアレスとモラ・マルティネスには「アルゼンチンには音楽が溢れているけど、同じような傾向の音楽をしている人たちは少なくみんな仲がいいの」とのこと。一緒にいたピアニスト作曲家ガビィ・エチェヴァリアもそのひとり。彼女のアルバムもすでに日本に紹介されていています。それにしても女性に人気のモスカルディーニさんは控えめで朴訥としていて、優しさそのものでした。帰り際に握手をすると、なんだか羽毛ぶとんのような柔らかな手。その手から紡がれる美しい弦の音色はいつか日本で演奏していただきたいと強く思いました。

その数日後、カルロス・モスカルディーニさん、奥様のノラさん、日本盤『Carlos Moscardini / Manos』リリースに尽力していただいたブエノス在住のひみさんと一緒にパレルモ地区のレストランで食事。彼の音楽の背景や、いま取り組んでいることなどお伺いすることができました。今回の旅きっかけは彼の音楽の「Julia 」が収録されたコンピレイションCD『Quiet Corner~pastoral tone』を郵送したものの、海外からの荷物には厳しいアルゼンチンなので、多忙な彼は受け取ることができず、日本に戻って来てしまい渡す目的でもありました。そのCDを渡し、いま日本で起きている穏やかな音楽を好む小さなムーブメントのことや、彼の音楽も少しずつ広がっていることを伝えました。そのコンピレイションに収録されている周辺の音楽家の話になり、フランス在住の音楽家マルシオ・ファラコとも親密な友人で、彼のパリのアパートも訪れたことがあることや、カルロス・アギーレやキケ・シネシとも古くからの親愛な友人で、ギジェルモ・リソットの演奏についても讃えていました。いま注目している音楽家については9人編成のグループDon Olimpioで、そのメンバーは伝統音楽を取り入れたヴォーカルのナディア・ラルチェルのプリミティブな歌声が印象的ですが、来日経験のあるフルート奏者フアン・パブロ・ディ・レオーネやディエゴ・スキーシ・キンテートのバンドネオン奏者サンチアゴ・セグレトなどがメンバーのアンサンブル。モスカルディーニさんが見つめる若手音楽家についても熱く推薦してくださいました。
それもそのはず、ライヴと並行してモスカルディーニさんの仕事は伝えること。音楽学校コンセルバトリオでの教師を経て、現在は2つの学校で、フォルクローレとタンゴを教えているようです。彼の2012年作『Silencio del Suburbio』に収録の「Suburbio」は都市部以外に広がる大草原"ラ・パンパ"からの影響の作曲で、音楽は音だけでなく演奏を通じてアルゼンチンの文化を伝えていくことが使命だと言う。彼が作曲演奏を続けていくなかで結実したのが、2015年プレミオ・デ・ナショナル・ムシカ賞をいただいたこと、アルゼンチン人音楽家にとってこの上ない名誉なことで、音楽活動の原動力にもなっているようです。2018年秋にはヨーロッパツアーが決まっていて、国内ではフアン・ファルーとのライヴを重ねていくようです。

モスカルディーニさんは、1999年カルロス・ヴォーノ楽団のひとりとして初来日、全国50公演巡ったようです。終演後サインを待つお客さんや、その方達からいくつもの小さなお土産をいただいたり、日本にはいい思い出しかないと振り返りながら話してくださいました。99年当時の日本ではタクシーにGPSがついていたりアルゼンチンと比べてとてもテクノロジーが進んだ国で驚かれたことと、特に印象に残っている景色は鹿児島公演の時に見た桜島の噴火で、ホテルから見えた地球のエネルギーに感動されたようです。現在ブエノスでは音楽教師として演奏者として充実した日々を過ごされているモスカルディーニさんですが、いつか日本でのソロ演奏を望まれている気持ちが強く、お力添えになるようモスカルディーニさんの来日実現に向けて少しずつ話を進めています。

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前途のモスカルディーニさんも出演した『Musica de la Tierra』は国民に向けて音楽文化を伝える無料のコンサートで、5日間に渡って南米注目の音楽家が出演されました。リリアナ・エレーロとフェルナンド・カブレラ、トニーニョ・フェハグッチ、ペドロ・ロッシの4人は、お互いの曲も演奏しつつ、終盤にはホルヘ・ファンデルモーレの名曲、祈りをテーマにした「Oracion del remanso 」を出演者全員で熱演。約400人ほどいた聴衆も一体になって大合唱する様はまさに平和への祈りを捧げるような、言葉に代え難い一団となったムードに音楽のもつ大きな影響力を感じました。その3日後にはフアン・キンテーロとエドガルド・カルドソのデュオ。彼らの公演のみ整理券が必要で人気ぶりも伺えましたが、すでにソールドアウトで整理券入手できず。そんな落胆とした僕を見かねてか、列に並んでいた好青年が「友達が来れなくなって一枚余っているから」と声をかけてくださり幸運にも入場できることになりました。彼の名前はアンドレス・プエルト。必然的に彼の隣席になり、ギター奏者の彼はこの企画のマスタークラスを受講されたことや好きな音楽家などの話になり、やはりモスカルディーニさんはギター音楽界のアイドルだということを再認識しました。フアン・キンテーロとエドガルド・カルドソのライブは会場に笑いを誘ったりとても和やかなムードでしたが、いざ演奏になると厳かな雰囲気に。フアン・キンテーロの名曲「Paloma」に感極まる人多数で、その歌が生まれた国で歌われることが、歌にとっても幸せなことなのではと考えさせられたと同時に、日本に伝わった時に翻訳することの大切さを改めて感じました。

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こうした会場での交流の初日に出会ったピアニスト作曲家/ヴォーカリストのガビィ・エチェヴァリアと一緒に食事をすることになりました。彼女の音楽は大洋レコードやディスク・ユニオンなどのインポーターを通じてすでに日本で紹介されていたり、コンピレイションアルバム『Quiet Corner ~at the night with you』にも収録されています。ガビィさんはアギーレさんのことを最も尊敬する音楽家だと言っていて、彼女作曲の「La palabra surge」はその要素が現れているような気がします。彼女はディエゴ・スキーシの(確か35人編成)のオーケストラでも歌っていて、そんな影響もあり、ラージアンサンブルでの演奏やアルゼンチン音楽のボサノヴァ的編曲など、あらたな取り組みも美しく内包し、タップやクラシックダンス、アラビアダンス、演技など、あらゆる分野でも学んだ彼女らしいポジティヴな要素がギュッと詰まった作曲をされています。まだ20代の彼女の音楽才能はこれからも広がっていくことでしょう。
アルゼンチンの多くの人たちは、テレビなどメディアからの情報しかなく、「日本人のほうが私たちの国の本当に素晴らしい音楽家のことをよく知っているわ」と彼女がおっしゃっていました。僕たちは日本のインポーターの耳利きの恩恵を受けているなぁと感じたと同時に、日本人の音楽愛好家は数珠繋ぎのようにそのアルバムに参加している音楽家を深く掘り下げたりする傾向があることによるものではと思いました。

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そして嬉しいことにウリセス・コンティと4年ぶりの再会ができ、彼のスタジオに招いてもらいました。スタジオは文教地区パレルモからほど近い場所にあり周りは低い建物で見通しがよい閑静な住宅街。円を描くように建物が建つ不思議なエリアにありました。ウリセスさんの紳士的なスタイルは変わらず、あたたかく迎えてくれました。「いつも日本のことを考えているよ」とメールでやりとりをしていたことが、入ってすぐに気づきました。ピアノの上に置かれた写真は僕の車の車内を撮影されたものでした。「どこかへ旅をするたびに写真を撮って思い出を額装しているんだ」と。スタジオの片隅には各地で撮影された写真がそっと佇んでいました。現在はとても忙しいようで、自分のライヴはほとんどしていなく、映画音楽や舞台音楽の依頼が中心で、俳優として映画に出演された経緯もあります。また、カルチャーセンターUsina del Arteではオーケストラのプロジェクトを進行中、毎週月曜日には音楽学校の講師として音響について授業をされているようです。新作はドイツのブレーメンで録音した環境音のみのアナログ『Bremen』。ウリセスさんがライフワーク的にしている"ウォーク・アンド・リッスン"のひとつで、静かに街を歩いて周囲の音に集中することで、人生のあらゆる側面で音とどのように関わっていくべきなのか、と考えるなかで生まれたこのプロジェクト。あらゆるサウンドを音楽素材とみなして、これまで聴いたことがないその朗読に、閉じた耳で過ごしている自分たちにとって、音が物事を語るのではなく、周りの音が伝えなければならないものを聞くことが大切で、作曲とは反対のことを活性化して演奏の意味をみつけるのだと。再び日本を訪れて日本の音を収集したいとおっしゃっていました。

僕がカフェで働いていることを察してか、ウリセスさんが幼少期に過ごしたBolivian Market へも連れて行っていただきました。マーケットはブエノスアイレス市の最も外側になるリニエルス地域の移民街にあり、色とりどりの食材や豆、ハーブ、オーガニック食品や赤砂糖まで揃います。街には独特の空気感が流れていて、ウリセスさん曰く、アーティストは度々この場所に訪れてインスピレーションをもらっているとのこと。この場所のことは他の方からも聞いていたので、素朴に素材の味を愉しむアルゼンチン文化の再発見もできました。

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数ヶ月前に来日ツアーが敢行され、HUMMOCK Cafe でも演奏していただいたトミ・レブレロに今回の旅でもお世話になりました。アルゼンチン北部フォルモサ出身の音楽家マルコス・ラミレスとのバンドツアー中、彼とパレルモにあるライヴハウスで再会。土着的な要素と洗練とユーモア、日本で体験したトミさんの音楽よりさらに愉快な音楽で、トミさん曰く、「僕も少し前ウリセス・コンティに会ったんだ、僕はカルロス・アギーレも尊敬している。静かな音楽も演奏するけど、演劇的な楽しい音楽も演奏する、僕はどっちの音楽の要素も好きな中間の音楽家なんだ」と、そのことを聞いて妙に納得しました。今回の旅でトミさんのオリジナルバンド「El Puchero Misterioso」を観たかったのですが、日にちが変更になりまた次回の楽しみに。トミさんからの提案でライヴフライヤーのデザインも変えるので、写真撮影をしてもらえないかと頼まれました。もちろん快諾し、急遽、美容院で散髪をしているトミさんを撮影するという楽しい事態に。後にその写真がライヴフライヤーに使用されました。
トミさんの父親は建築家で彼もまた建築に詳しく、1920年代に建てられたNeo Classical建築やそれに対するRacionalismo建築について、モダンな建物は当時賛否あったことや、アルゼンチンの建築家クロリンド・テスタなどの話をしながら、約1時間 車を走らせて、ラ・プラタにあるクルチェット邸を訪れました。南米唯一のル・コルビジェ建築であり、クルチェット外科医の診療室と住居を兼ねたその家は、狭い空間ながらも一本の大木を囲み、どこにいても明るく採光と風通しのよい空間。裏側にはラ・プラタ建築学校を隣接していて、いつでもアクセス可能なうらやましい環境でした。トミさんのおかげで念願叶った表敬訪問でもありました。

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パレルモにある有名なライヴハウスCafeVinilo では2公演行きました。1つはジョルジナ・アッサンの新作リリースライヴ。ピアニストにディエゴ・ペネラスを迎えてのオリジナル アンサンブルで、ゲスト参加にマルセロ・モギレフスキー。ジョルジナさんの世界観は、アルゼンチンのシンガーソングライターの中でも一線を画した音楽で、牧歌的で時にミステリアス。子供が産まれ母親になって、そんな喜びに満ちたような多幸感溢れるライブでした。もう1つは偉大な音楽家であり詩人ホルヘ・ファンデルモーレのソロ公演。アルゼンチンに到着して真っ先にチケットを買いに行った とても楽しみにしていたライヴでした。彼がライヴをすることも稀で、1公演に観客が集中するためか3daysありました。彼は、前途のサンマルティン劇場で体験した大合唱の「Oracion del remanso」作曲者であり、カルロス・アギーレの盟友として自然愛や平和を願うロサリオ出身のシンガーソングライターです。驚いたことに、観客のなかにはHUMMOCK Cafeにも来てくださったこともある音楽愛好家のUさんがいらっしゃって、偶然の再会でした。終演後、スペイン語が話せる彼には通訳もしていただき、おかげでさまで素晴らしい夜を堪能できました。

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ブエノスアイレスからロサリオへ移動する前日。造形芸術家のパメラ・ヴィジャラーサさんより水彩画を受け取りました。それは東京の音楽レーベル インパートメントより日本盤再発される、カルロス・アギーレの名作『Rojo』と『Violeta 』に封入されるための水彩画。フィジカルのパッケージは"音楽が住む家"だと考えているアギーレさんの作品には彼女の絵が重要な役割を担います。偶然にも僕がアルゼンチンへ行くタイミングと水彩画ができあがるタイミングが重なり、受け取りさせていただきました。名盤再発に少しでも携われたことに光栄な気持ちです。持ち帰ったあとは、日本で有志の方々によって組み立てられ、カルロス・アギーレ・ジャパンツアー2018より会場先行で販売されるようです。

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長距離バスを利用して約4時間半、水辺の街サンタフェ州ロサリオへ。目的は写真家ガブリエラ・ムッシオと、ピアニスト作曲家パブロ・フアレスに会うこと。ガブリエラさんはギジェルモ・リソットの『Solo Guitarra』のジャケットモノクロ写真を撮影した女性フォトグラファーで、数年前に送っていただいた抱擁がテーマの彼女の写真集『Los Abrazos』にも感動し、いつかお会いする機会が持てたらと願っていました。彼女のスタジオを訪ねると、英語が話せる従姉妹のアナも一緒に迎えてくれて、初対面でしたが、お土産に持参した植田正治の写真集ですぐに打ち解けました。彼女は30年間写真に携わっていて、デジタル機材は使用されずアナログのみでワークショップもこなされています。数日後にはブエノスアイレスで写真展を開催する忙しいさなかでしたが、記念に写真を撮りましょう!となり、たしかILFORDの印画紙を使って撮影していただきました。現像、焼き付けまでの一連の流れを拝見しつつ、実は暗室初体験のロサリオでの貴重な時間でした。彼女が撮影された写真はノスタルジーが漂い、日常を切り取った変わらない美しさを感じます。スタジオの別室には活版印刷の古い型がずらりと並びとても趣味の良いセンスある空間でした。夕方から近くで無料のライヴが行なわれるとのことで一緒に行ったのですが、最近になって700本の花が植えられ、結婚式が挙げられたり市民の憩いの場所に変わったばかりの美しい公園でした。老若男女が散歩がてらに音楽を聴きに集まり、昏れなずむ陽と相まってそれは気持ちのよいライヴでした。ブエノスアイレスでもそうでしたが音楽をはじめ芸術が身近にあり、街に本屋が多く、文化に開けた国で、多趣味な方々がいらっしゃるのも頷けました。

その夜、ガブリエラさん宅にてピアニストのパブロ・フアレスと会うことになりました。パブロさんと僕は5年ぶりの再会。ガブリエラさんとパブロさんは初対面、みんなのお互いの共通はギジェルモ・リソットと友人であること。僕が持参した日本食を調理しつつ、不思議なご縁に乾杯。深夜まで話は続き、翌日に控えたパブロさんのピアノソロ・コンサートの話になります。「実は明日の会場にはピアノの椅子がなくて探しているんだ、ピアニストの友人たちにも声をかけているんだけど返事がなくて...」と。聞けば、数日前にその会場で演奏しようとしたピアニストが椅子の高さを変えようとすると壊れてしまい、その椅子は使用できず困っている様子でした。ガブリエラさんが静かに興奮した様子で「ピアノはないけどちょうどピアノ用の椅子は持っているわ!」と奇跡の流れ。とても年季の入ったその木製の椅子は使われることを待ち望んでいたかのように輝いて見えました。

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コンサート当日。リハーサルまでの時間、パブロさんとご両親が実家へ招いてくださいました。アルゼンチンでは有名な炭火バーベキュー"アサード"を家族とともに食し、和やかなひととき。重厚で居心地の良いリヴィングには民芸品や絵画の数々。旅で出会ったものかと尋ねると「この絵は叔母が描いたもの」、母親がおもむろに取り出した民芸品を持って、「これはもともとはアイスクリームが入っている容器よ趣味で作っているの」と、その繊細な手仕事に驚きました。毎週末は家族で集まりアサードで団欒するとても仲の良い文化的な家族。その家庭で育ったパブロさんにも作曲について尋ねると、名盤『Sumergido』に収録の「Pescador y Trenes」(直訳すれば漁師と列車)も、電車の車掌と漁師をしていた2人の叔父に捧げた曲で「最初のイントロの部分は電車に揺られる音をピアノで表現したんだ」と教えてくれました。

その後、2ブロックほど離れたパブロさんの小さなスタジオを訪ねました。窓から差し込む光に揺れる木洩れ日、BGMはパブロさんが尊敬しているマリオ・ラジーニャのピアノソロ。会場に行くまでの時間、しばしの穏やかな時間を過ごしました。コンサート会場は150名ほどの小さなホールで、写真家ガブリエラさんと一緒に観に行きました。インプロヴィゼイションと新曲をふくめた美しいピアノソロを中心に兄弟のマルティン・フアレスがベーシストとしてゲスト参加。ほんとに素晴らしいコンサートで、終演後パブロさんに駆け寄った友人たちや家族が抱擁しあい、その横ではガブリエラさんが自分が貸した椅子を見つめて少し涙ぐんでいました。「この椅子は母に40年前にもらってから一度もピアノ椅子として使ったことがなかったの。今日初めて自分の椅子が使われていることを想うと感情を抑えきれなかった。演奏も素晴らしかったし、紹介してくれてありがとう」と。パブロさんのコンサートをめぐり、偶然と幸運の一致が招いた出来事に僕も深く感動してしまいました。

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ロサリオを離れる日、パブロさんとパラナ川沿いを散歩しました。散歩が好きでよく水辺を歩いているらしく、「あの島の向こうにはたくさんの鳥たちや野生動物がいて、僕はそんな自然からのインスピレーションを大切にしている」と。10年間ブエノスアイレスで音楽活動をしていたパブロさんは最近になって地元ロサリオに戻ってきました。昨日体験したパブロさんの新曲のタイトルも自然を思い起こすもので、これからの作曲にも緩やかな変化があるように感じました。ロサリオを愛し、自然を愛し、家族を愛するピアニスト作曲家パブロ・フアレス。彼の音楽もまた日本で広がることを願います。

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こうして今回の旅は一人だったためか皆さんに世話していただいたり、音楽が繋いで下さったご縁に感謝しています。無事に帰国した翌日、ニュースで知ったのですが、ブエノスアイレスで大きなデモがありました。街には装甲車もでるほどの悲しい惨状だったようです。出会った方々の顔を思い浮かべながらあの日の美しい時間が取り戻されるよう願うばかりでした。僕がアルゼンチンに魅力を感じることは、人情とたくましさだと思います。物価が上昇しているから、なんでも自分たちでやるDIYの精神。大都会の中でも自然が溢れ、しぜんな流れで環境に興味を持つこと。料理の注文の方法に困っている僕に隣の席の方がおせっかいすぎるほど教えてくれたりもしました。今回の旅でも友人や知人、初めてましての方々、多くの方々に感謝の気持ちとともに今後自分のやるべきことも胸に刻みました。自分たちができることはほんの些細なことですが、音楽を中心に日本とアルゼンチンの小さな架け橋になればと思っています。また、日本に想いを寄せている方も多く、日本に行ってみたいと思ってもらえることが、日本人として、幸せなことだと感じました。ひとりの日本人として襟を正された気持ちになり、これからも真摯に音楽の紹介も続けてまいりたいと思います。























Text and Photo by Nobuhiko Nakamura